第5回山陰研究報告会

公開日 2010.03.01

◎第5回山陰研究報告会を開催いたしました◎

日 時:2008年11月5日(水)
場 所:島根大学法文学部棟2階 多目的室(207)

0701 プロジェクト名「山陰地域古典文学資料の公開に関するプロジェクト」
報告者:蘆田 耕一(島根大学法文学部 教授)
報告内容:「『出雲国名所歌集』にみるネットワーク」

 出雲大社の神官富永芳久により、主に『出雲国風土記』に見られる地名を詠み込んだ『出雲国名所歌集』が、初編が一八五一年、二編が一八五三年に成立した。歌人たちは東北地方から九州地方まで広くにわたり、発行書房も全国に及んでいる。
 これは芳久の個人的関係ー勉学地の和歌山の本居内遠の門弟達ーだけではなく、出雲大社の独自のネットワークがあったことによると考えられる。さらには大社と人々とを結びつける信仰的役割を果たしたとされる御師(おし)と呼ばれる神職たちー従来その実態がよく知られていなかったーの働きもあったのではないだろうか。
 これらのネットワークの問題を大胆な推測も交えて話してみたい。

第5回研究報告会(芦田1) 第5回研究報告会(芦田2)


0803 プロジェクト名「初代松江市長・福岡世徳文書の解読・翻刻・研究と『初代松江市長・福岡世徳―史料と研究』(仮題)の刊行 」
報告者:竹永 三男(島根大学法文学部 教授)
報告内容:「初代松江市長・福岡世徳の旅と松江振興策」

 福岡世徳(つきのり)は、松江藩砲術士でしたが、廃藩置県後、島根県官・教員・代言人(弁護士)を務め、自由民権運動に参加した後、1889(明治22)年に松江に市制が施行されると、初代松江市長として1911(明治44)年まで、22年間松江市長の職にありました。
 この間、松江市が山陰地域における経済的中心地としての地位を米子・安来に譲って地盤沈下し、人口減少をみるに及んで、福岡世徳は、鉄道敷設・馬潟港浚渫・陸軍連隊誘致を進めることで松江市の地域振興策とし、政府・内務省、陸軍当局に対して頻繁に陳情を行いましたが、そのため行った東京・大阪・広島などへの旅は、市長在任中に44回に及び、1回の旅の日数も最長で110日に達しました。
 発表では、福岡世徳が松江市長在任中に記録した12冊の「公務手帳」の分析により、交通不便な時代に行われた市長の困難な旅を復元し、それをおして進められた松江振興策の内容を明らかにします。

第5回研究報告会(竹永1) 第5回研究報告会(竹永2)


第5回山陰研究報告会にお越しいただき、ありがとうございました。